結婚について調べてみた(笑)
結婚。っていつから今のスタイルになったのでしょうね?
とーっても素敵な方が結婚をされました。
とってもうれしい♪と思ったのと同時に、
ん?結婚っていつから今のスタイルなんだろう????と思いました。
現在、結婚というものに対する価値感が変化しているように思います。
「人は必ず結婚しなくてはならない。」
という意識はまだまだ強いと思いますが、
「どうして、結婚しなくてはならないのか。」
という疑問が投げかけられるような時代になりました。
私も、結婚していないので、「絶対に結婚しなくてはならないのか?」
という疑問はもっています。
もしかすると、生まれてきた子供の生活の維持ができる法制があれば、
特に結婚をしなくてもいいのではないかという意見を持っている方もいるかもしれませんね。
そう考えると、昔の日本の「通い婚」のようなことも合理的といえるのかもしれません。
会いたいときだけ会いに行くという形式ですね。
それがいいのか?どうかは、本人たちの問題になると思いますが、
その方がいい。とか楽。と思う人もいるのではないでしょうか?
現在では、結婚はあくまでも形式。
だから、同棲しているからいい。という話も聞きます。
子供ができると、そこで、やはり形式として必要と考え、結婚するかたもいますよね。
でも、そう考えると、もし、養育は両親のどちらかが養育し、他方は費用を負担するという契約のようなものがあれば、結婚の形式にこだわる必要もないのかもしれません。
と、ここまで書くと、結婚反対派?と思われそうですね。
どちらとも思っていません。
結婚を選ばれる方達を素敵だと思いますし、
結婚しないという選択をするのも、いいと思います。
結婚という形式よりも、
お互いの気持ちが大切だと私は思っていますが、、、、
昔の結婚は、そういう気持ち。ではないのが現状だったようですね。
昔は、子供も働けるようになったら働きに出ていってよし。
「うちの畑では、そんなに人数が食べてゆけないからね。」といったものだったようです。
調べて初めてしりましたが、昔は、日本もアジア諸国と同じく、夫婦別姓だったのだそうです。。。
結婚して、夫の家に入っても、実家の姓を名乗り、実家の一員でもあったのだそうです。
そういえば。。。武家社会では、嫁は嫁の実家からのスパイや代理人である時代劇多いですよね。人質だったり、家のための結婚。というのが当たり前の時代だったのですね。
領主や大名家でも、家という概念はありましたが、
今でいう会社の社長という程度の意味だったようです。
大名家は世襲されますので、大名家と領地という社会単位さえ存続すればいいので、
どの子供が家を継いでも、優秀な子供がいなければ養子でもようなのです。
だからこそ、お家騒動なんてのが、あったりするわけですね。。。
商人での場合、男女関係無く、優秀な人が継げばよいという考えで、
生まれてきた順番もあることはあるけれども、
たとえ長男、次男がいたとしても、
優秀な使用人がいれば、娘と結婚させて家を継がせるということは当たり前のことだったようです。
別の形態でいうと、「夜這い」の風習というものもありました。
未婚の娘がいると、誰でも自由に夜這いして、気に入ったら一緒に暮らす。
う~ん。。。信じがたい風習。。。。
なんていい風習と思う人もいるのかもしれないけど、、、、
私は、信じがたいと思う。。。なぁ。。。
いよいよ!今のような結婚の話になってきそうです。
明治になると、キリスト教思想が入ってきて、一夫一婦制が法律によって規定。
他方キリスト教思想への反発から儒教思想も強く主張されました。
それで、家という制度も創設されたようです。
この【家】という考え方は、明治~大事に世界大戦あたりまで、強く意味していたようです。
家というのは、一つの団体であり(家団といいます)家長という代表者が、家団の構成員に対して、身分法的にも、財産法的にも広く権限をもつというもの。
女性は、男性に従う、
男性は目上の者に従う
というように、家団の中でも序列があり、
妻は単独では法律行為ができないものとしました。
儒教の教えもすばらしいものなのですが、
こういうところだけ拾うと。。。なんとも傲慢に聞こえてしまうのは私だけでしょうか?
対内的にも、対外的にも家長は、ものすごい権限を持っているということですよね。
儒教的思想から家督は、男子の年長者が家を継ぐことになりました。
明治の儒教思想がなければ、男子の年長者が家を継ぐ。という考えもなかったのですね。
どちらがいいのかはよくわかりませんが、、、
長男なんだから〇〇しなくてはいけません。って考え方も
このあたりからだと考えられそうですね。
今日の相続とは違う考え方のようですよね。
個人の財産という考え方ではなく、【家】という団体の代表者が交代する。
財産は家のものであり、それを使う権限は家長にあり、
家督相続は、家長の交代というだけであり、
現在の親から子供に財産が移転するわけではないということのようです。
夫婦同姓となることも決められましたが、
これは西洋のファミリーネームというのが輸入されたもののようです。
家団の名称ということになりました。
なんだか、、、輸入物ばかりだ。。。
日本古来の考え方だと、、、、、
強いものがより多くの人を養う。一夫多妻制。というのが主流だったようですね。
そして、家を支えるのは、女の役目。
なんだかおもしろいですね。
時代によって、色々変わっている。
今の常識は、【今】この時代のものであて、ずっとそれが常識だったわけではない。
ということですよね。
現在の結婚制度
個人主義、両性の平等を規定した現行憲法が制定されたことにより、
民法が改正され、従来の家の制度は廃止されました。
そこで、姓・名ともに、個人を表わす名称となりました。
しかし、姓も個人名ということになると、
結婚して籍を同じにすると姓も変えなければならない理由が説明できないですね。
旧法時代の家制度を残すことも妥当ではないですよね。
そこで、同居して一緒に生活している家族の名前という意味に考えるのが姓の考え方のようです。
民法は家族はお互い助け合わなくてはならないという規定を設けました。
従来の家の制度では、家長は絶大な権限をもって、
家という団体の財産を運営する。
当然、家の全員を扶養しなくてはならない立場にあったということです。
現行法では、両性は、平等かつ対等ですので、
それだけで、相手を扶養しなくてはならないという義務はないですよね。
家族というのは、社会の基本単位として、存在しているもの。
夫婦がお互いのみならず、子供の生活の安全も確保していくものであり、
家族という社会単位を維持するために個人主義を修正して、
お互いを助け合い、扶養する義務を課したもののようです。
財産も家の財産という考えを排して、個人財産という概念が貫かれました。
夫婦の財産関係は、結婚前に契約で取り決めないと、これを第三者に主張できません。
民法に法定された処理によるものとなります。
この点は、夫の名義、妻の名義と個人財産制となっていますが、
場合によっては名義ではなく共有財産とされることがあります。
ということで、現在の結婚の形になったのは、
現在の憲法、民法によってだということがわかりました。
当たり前と思っていることが当たり前でない。。。
でも。。。
家のためではなく、
家族のため、自分自身のため、自分の大切な人のため。
そんな風につながっている家族の形をとれるなら、
結婚という形は素敵だと私は思います。
今回は、いつもは考えない、結婚。ということについて
かんがえるきっかけをくださった、
とっても素敵な裕子さん&勇司さんありがとうございました。
お二人なら、とっても素敵な家庭が作れると思います。
理想の二人なの。とお二人を紹介してくれた方の、
とっても素敵な笑顔が忘れられません。
ぜんぶまるごとありがとうございます。
きょうもすばらしいいちにち。おめでとう。
なぎさ
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